ノボリバに来ていただいた猫好きの方はご存知かもしれませんが
ノボリバにはいつの間にかマスコットになっていた猫のミーコとクロがいます。
そのクロが、昨日亡くなりました。
今の場所にジムを作ることが決まり、施工工事が始まった直後から、毎日作業が終了した頃に
ひょっこり姿を現わすようになったミーコ。
それまで猫は苦手だったのですが、毎日ミーコとふれあうことで気付くと猫好きになってました。
そして、営業を開始してしばらくしてから、いつの間にか姿を見かけるようになったのがクロ。
出会った当時は絶対に人に寄り付かず、姿を見せたとしても必ずジムの道を挟んで反対側を歩いてた。
ミーコにご飯をあげるようになってから、恐る恐る近づいてきて、クロも一緒に食べてくれるようになって
距離が縮まっていくのが嬉しかったわー。
いつの間にか、ジムのすぐ前を通るようになり、挙げ句の果てにはキリッと入口の扉越しに座って、
扉に頭をゴンゴンぶつけて、ご飯をねだるようにまでなってたね。
冬場は寒いやろーってことで、てんてんが入口の傍に座布団をおいたのもクロのためやったよなー。
「ご飯やでーっ」て皿を持って出ると、尻尾をブルブル震わせながら、ニャーニャー鳴いて足元や膝に
擦り寄ってくる姿。
ご飯の皿を置いた時に、ダラーっとヨダレを垂らしてたこともあったな。
朝出勤するとミーコと2人で日向ぼっこする姿にほっこりしたわ。
ミーコの産んだ子供たちに囲まれてオロオロする姿。
コンビニ袋の音に反応して走り寄ってくる姿。
冷たく硬直した身体をいくら撫でても
そこにはもう俺の知ってるクロはいなかった。
もう二度とあの姿を見ることは出来ないんや、って理解して無性に辛くなった。
去年の秋、自宅前で2ヶ月の間に3匹の猫が車に轢かれて亡くなり、その亡骸を環境局に運び、
残された子猫を保護したり、バタバタした時期があった、その時も悲しかった。
でも、やっぱり今回の悲しさはその時とはどこか違う。
俺の中でクロの存在は、家で飼ってる犬猫同様、家族のような存在になってたんかな。
これまで生死に対して考える機会があったし、その都度、後悔と反省、自問自答を繰り返して
軌道修正しながらやって来たけど、アホやから忘れがちになる。
だからまたこうしてクロが教えてくれたんかな、とも思う。
なくなってから後悔するくらいなら、今を精一杯生きるってこと、
明日やろうはバカヤロウって誰かさんが言うてたなー。
クロにしてやれなかったこと、自分の手の届く範囲だけでもやっていけたらクロと出会った意味もあるやろーし、
そうすることがクロが生きてた証になるはず。
もし、次また猫に生まれ変わってきたら、その時は俺が5匹目として迎え入れるわ!
昨日の出勤時に突然知らされ、
心の底は冷静に、感傷的に、感情的になるな、割り切れと頭ではわかってるけど、やっぱり俺は冷静にはなれず、
イマイチ元気が出てこずの1日でした。
今はしっかりと悲しんどきます。
クロを可愛がってくださったみなさん
ありがとうございました。
彼の冥福を祈ってあげてください。
ミーコが1人残されて寂しいと思うんで、また目をかけてあげてくださいね。
よろしくお願いします。
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